患者様のコメント

担当した患者さんから、コメントを頂きましたので、一部紹介させていただきます。


Fantastic Voyagerさんより

Fantastic Voyagerさん

 ある時脳ドック検診を受けた際に数ミリの大脳動脈瘤が二か所認められ精密検査を受けることになりました。ドックで脳外科担当の医師を紹介して頂き、それが奥村浩隆先生との出会いの始まりでした。

 精密検査が終わり奥村先生の診断を仰ぐまで3週間ほどあったのですが大脳動脈瘤に関することは多少インターネット等のメディアで調べましたが先生に関する情報は敢えて多くは得ずに初対面の機会を待ちました。

 お会いした際の第一印象は「新しいコトへのチャレンジ精神とかポジティブな考え方をお持ちで、僭越ながら自分と同じ周波数を感じました」。ご自分の仕事をたのしまれている。これが自分にとって大切な条件でした。
「信頼関係がよい治療結果に結びつく」です。もう一つは「手術をする前に半年ほど経過観察期間をもらう」ことでした。治療を伸ばすのはリスクであることはわかっていたが半年したら動脈瘤が小さくなるかもしれない可能性も試したかった。奥村先生には思いを理解頂き半年後にまた再検査となりました。半年後の検査では二つの動脈瘤は大きく変化はしていませんでしたが大きい方のみを手術で治療することに決めました。手術の前にはセカンドオピニオンも大切と奥村先生がわざわざ他の脳外科医師をご紹介下さりました。最終的には血管内治療を選択し奥村先生に執刀をお願いし無事手術は終わり現在も元気に先生のフォローアップ検診を定期的に受けています。

 映画『ミクロの決死圏』が現実となり血管内を自ら移動可能な検査・治療器具が動き回るその日までお元気でお過ごしください。きっと想像以上はやく現実となりますね。


Aさんより

Aさん

脳動脈瘤による脳血管内治療を受けて

 私が奥村先生の血管治療を受けたのは2015年の11月です。
年に一度の健康診断オプションで脳ドックを受けた際に5㎜弱の動脈瘤があることが分かったのが2013年の夏の事でした。
 最初に診ていただいた先生は昭和大学病院の水谷先生で、私の動脈瘤についての見解を分かりやすく解説してくださいました。
 治療方法としては血管治療があることを知り、とても驚きました。少し時代が違っていたら在り得ない治療法です。
 そしてそのスペシャリストとして奥村先生をご推薦いただきました。
私の動脈瘤の大きさは治療を受ける一般的大きさのボーダーラインだったことと、自覚症状が全く無いことから治療を受ける受けないは自分で決めなければならず、考えるほどに迷いました。これは日本の医療の恩恵でもあるのでしょう。

 定期的に奥村先生に診ていただくのと並行して、私のほうも脳動脈瘤と血管治療について猛烈に調べ始めました。脳動脈瘤とその治療法の情報はネットにあふれ、血管治療体験談も多く、脳動脈瘤に対する人の受け止め方は実に多様でした。
 専門職に就く私にとって、ネットでのいわゆる実用書(手引き)は当てにならないとの持論も有り血管治療を受けることができる医療の進歩を歓迎しつつ、リスクをどう捉えるか決心するまでに時間はかかりました。

 昭和大学病院での奥村先生の印象は大変失礼ながら、お医者様らしくない方(良い意味で)でした。
お話しはとても丁寧で、時には一つの事の説明をなさる為に何冊もの冊子を見せて下さり、治療後の副反応についても詳細に数値等でも示していただきました。
 定期的に診察を受けていくうちにご自身の医療、治療に対する熱意や矜持が伝わってきて、この先生にお願いしたいという気持ちが募ってきました。
 一方で、不安が全く消え去った訳では有りませんでした。
それでも奥村先生が「ステントを留置するのはその後の患者さんの負担を考えるとしたくない」と仰ったときに先生が覚悟を決めて治療をしてくれるのだから何があっても人のせいにしない、私も覚悟を決めてお願いするという気持ちになりました。

 治療が終わってすぐ、まだ麻酔が完全に冷めてない時に先生が近くにいらしてニコニコしながら「上手く行きましたよ!ばっちりです!」と少し軽口な態度を見て本当に安心したことを覚えています。
 治療後の順調ぶりはここに経験談を書かせていただいていることが何より証拠です。

 その後も定期的に奥村先生に診ていただいていますが、先生の「この仕事大好き!」なお話しぶりは変わらずに感じます。
つまり、奥村先生は常にご自身より仕事優先、患者優先という先生というのが私にとって変わらない印象です。


Fさんより

Fさん

 皆さん、こんにちは。私の闘病記を書かせて頂きます。

 私は18歳の時に脳動静脈瘻が発覚し、完治までの5年間で計9回の手術を行いました。
(脳血管内手術8回、開頭手術1回)

 病気が発覚した当初は「なぜ自分なのか…これからの将来はどうなってしまうのか…」と、かなり絶望したのを覚えています。 浪人が決まった頃だったので、大学を目指す意味や自分が生きている理由も分からなくなりました。ただ、放っておくと脳出血を起こし、命を落とす危険があったため、脳血管内手術を決断しました。

 死んでしまうのではないかと思いつつも、無事に5回の脳血管内手術を終え、希望が見えてきました。
その矢先、診てもらっていた病院から匙を投げられ、再び絶望に…。
 そんな時に奥村先生と出逢います。奥村先生は病状について詳しく話してくださったり、持ち前の優しさと明るさで私を勇気づけてくれました。。

 最初は人生に絶望していましたが、だんだんと、病気を前向きに捉えることができるようになりました。苦しい日々の中でも「感謝できること」に目を向けるようになっていったことが大きいです。 これは、病気が完治した、今の生活にも影響を与えています。闘病の経験を通して他の方々を励ますことが、これからの夢です。

 最後に私の大好きな言葉で終えます。

 「乗り越えられない試練は与えられない」という言葉です。 闘病の渦中にいると、絶望を感じることも多いかと思います。その中でも「感謝できること」に目を向け、一歩一歩じっくりと歩んでいく。そうすることで得られるものはたくさんあります。

 「病気が完治してからが人生」ではなく、「今日もかけがえのない人生」だということを忘れないように生きていきたいです。

読んで頂きまして、ありがとうございました。


Bさんより

 身体の異常に気付いた最初のきっかけはしゃがんだ状態から立ち上がった際におきた「立ち眩み」と今までに経験したことのない「左半身の痺れ」「右半身が麻痺する感覚」を覚えたことでした。

その後は、電車で座っていて目的地で下車しようと立ち上がった際に同様の「立ち眩みと半身の痺れ」「半身が麻痺するような感覚」に幾度となく襲われましたが3分ほどで回復しすべて正常に戻るので当時は深く考えず仕事を優先しそのままやり過ごして生活していました。また、夏場だったため、その原因は熱射病か脱水症状によるものと自己判断をし、そのまま1か月ほど過ごしました。

初期に比べると「立ち眩みと痺れ」の頻度が徐々に減っていったこと、また「痺れ」そのものも弱くなりつつあったのでそのまま時間が解決すると思っていましたが、頻度は減ったものの症状がわずかに残っていたので発作から1.5か月が経った頃に初めて脳神経外科クリニックで診察を受けました。

クリニックでのCT検査結果では脳腫瘍など目立った原因もみつからず一安心したもののわずかに血管の疾患が疑われたため設備の整った病院へと場所を替え造影剤を使ったより精密なMRI検査を受けることになり、結果、硬膜動静脈瘻と診断されました。

診断後、開頭手術やカテーテルによる血管内治療などの処置方法について、脳梗塞や脊髄梗塞について、処置することで起こりうるリスク、しないことで起こりうるリスクなど細かく丁寧にご説明いただきました。不安な時期もありましたが、専門の先生方が時間をかけ検討した私にとってのベストの処置方法をご提案いただけたおかげで安心して治療を受ける決断を下すことができました。

おかげさまで術後は後遺症もなく元気に毎日を過ごしております。
今回担当していただいた新座志木中央総合病院の奥村先生、佐々総合病院の福田先生には大変お世話になりました。二人の素晴らしい医師に出会えたこと、またカテーテル治療のスペシャリストであり指導医でもある奥村先生監修の最新の設備が整った病院で治療を受けられたことに心から感謝をしております。

本当にありがとうございました。